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或る「ソープ嬢」論

誇りあるソープ嬢という選択

「職業としてのソープ嬢」=プロ意識をもて

職業としての風俗---看護師と同じ数だけ風俗嬢がいる

現在、風俗の世界で働く20代の日本人女性は---正確な統計があるわけではありませんが、だいたいのところで---約30-35万人程度といわれています。
総務省統計局の調査によれば平成24年10月1日現在の確定値で、20代女性の総人口は約652万人ですから、その割合は約5%ということになります。30代半ばまで入れたとしても、実に100人中3~4人の女性が風俗店で働いていると推測できる状況です。

風俗店の多い東京都だけに限ってみれば、店舗数・在籍数から考えて20代女性の15人に1人が風俗勤務しているというデータもあります。

よく似た数字に、看護師の数があります。
たとえば実際に就労している看護師の数は現在87万人(平成20年度 保健・衛生行政業務報告)ですが、そのうち、20歳~29歳までの看護師数は全体として22万8575人です。34歳まで含めると37万9805人。そこから男性看護師の数4万4千人程度をひくと、33万人程度ということで、まったくの偶然かもしれませんが、20代~30代前半に限っていえば、風俗勤務女性と女性看護師の数は、ほぼ同数です。

風俗という仕事が、限られたごく一部の、あるいは特殊な人だけがやっていると思われていた時代もあったでしょう。
しかし風俗に勤務する女性が、看護師などのメジャーな仕事と同じ数だけ存在しているという事実は、風俗業がはっきりとした職業分野として、実際にも社会のなかに存在していることを示しているのではないでしょうか。

職業としての風俗---プロ意識をもて

われわれが「職業としてのソープ嬢」というとき、それは戦後の日本社会のなかで一定限度根付いてきたこの風俗という仕事そのものをあらためて対象化し、そこで働くすべての女性がサクセスを得るために必要な前提としての職業意識=プロ意識を問題にしたいということにほかなりません。

職業意識=プロ意識のないところに、どのような成功もありえない。ソープ嬢であれ、看護師さんであれ、あるいは飲食店の従業員さんであれ、これは、すべての職業において共通の真理です。

プロ意識をもった行動と言動が、接客するすべてのお客様の信頼と満足を引き出す。信頼されるプロだからこそ、人が集まり、結果としてお金も集まってくる。・・・そういう考え方に立脚してものごとを考えようというのがわれわれのスタンスです。つまり、ソープ嬢だからお金が稼げるというのではない。また、給料が高いからお金が稼げるというのでもない。サービス内容で支持され、評価されるプロだからこそ、根底的な信頼を得て人が集まってくる。その結果としてお金もついてくるんだ・・・という考え方です。

実際、こうしたプロ意識こそが、結局のところ顧客の支持を根底的に支える力になるのです。

ソープ嬢になりきるということの意味

ソープ嬢という言葉

ところで「ソープ嬢」という言葉は、それとしては一般的には使われなくなってきています。たとえば会話のなかでも、「あなたはソープ嬢ですか」と言わずに、「あなたはソープランドに勤務しているのですか?」とか「ソープランドで働いているのですか?」 「ソープランドに勤めているのですか?」といったいい方をしたりします。
「あなたソープ嬢なの?」と聞くことは、ストレート過ぎて憚られるということでしょう。あるいは、相手の人格を「ソープ嬢」とひとことで括ってしまうのは、何かしら非礼な気がする。そこで少しトーンを落として「ソープに勤めている人」といったいい方をする。

あるいは、実際にもソープの勤務条件が緩やかになり、ソープに勤めているにしても別に昼間の仕事を持っていたりして、ソープ嬢であることがその人のすべてではないという事情も多くあるのかも知れません。アイデンティティにおいて、自分はソープ嬢ではなく、あくまでも「普通の子」というわけです。
逆に、あからさまにソープ嬢という言葉を使うときは、否定的・批判的、そして時には差別的・嘲笑的・自虐的に使われることが多い。ソープ嬢という言葉は、その本人にとっても、また社会的にも決していい意味では使われないというのが今日的な状況だろうと思います。

「ソープ嬢」になりきる

しかし、私達が一貫して訴えているのは、堂々と「私はソープ嬢だ」と言い切れということ、つまりソープ嬢であることにまずは誇りを持てということであり、同時にそのためにも誇り高くソープ嬢になりきれということです。短期勤務であれ、長期勤務であれ、あるいは臨時の勤務であれ、勤務してお客様の前に出る以上はプロ意識をもった「ソープ嬢」であれ、ということです。

もともとソープ嬢は、女性であることそのものを武器とする仕事であり、マットやベッドやさまざまな献身的なサービスを通じて女性であることそのものを追求していく、いわば「愛情と献身」でカネを稼ぐ仕事です。またソープ嬢というお仕事は、接客人としての礼儀礼節にはじまり、豊富な話題で会話できる能力のほか、個室内で献身的にお世話することができる能力などさまざまな能力が問われる、いわば女性としてのトータルな能力が問われる仕事でもあります。

だからこそわれわれは、「ソープ嬢として一流であるということは、ひとりの女性として一流であるということだ」と考えるのです。
実際にも、ソープ嬢としての仕事【つまり女性であることそのもの】を顧客である男性に評価され、予約が取れないほどに多くの男性から求められることは、女性としてこのうえない評価ということではないでしょうか。
私たちは、ソープ嬢として働く以上、女性としてのすべてが問われているというくらいの気持ちで頑張ってほしいと思っています。

「人とは違うサクセスをかちとる」ということ

何が何でもサクセスをつかみとろう

また、そうであればこそ、なにが何でも成功する、そうでなければソープ嬢として働く意味などないと、われわれは考えています。
そして「成功する」「サクセスする」といったときの決定的な指標は、やはりなんといっても稼ぎ出すカネの額ということになるでしょう。稼ぎ出したカネの額が圧倒的に巨額となって、それ相当の未来を保証するのでなければ、若い時代にカラダを張って働く意味など見出しえないとさえ、考えています。

生涯賃金の全国平均
『ユースフル労働統計-労働統計加工指標集-2008』
(カッコ内は同一企業で一度も転職せずに定年まで勤務
した場合の数字)

それ相当の未来を保証するという点でぜひ考えてみたいのは、女性の平均的な生涯賃金との比較です。
いったい、ひとりの女性が生涯に稼ぎ出すカネの額というのはどのくらいなのでしょうか。

生涯賃金を扱った資料を見てみましょう。厚生労働省所管の独立行政法人「労働政策研究・研修機構」というところがつくったものです。(右図)。

5年間で生涯賃金を稼ぎ出す可能性

まず平均的なところで、高卒から専門学校・短大卒あたりで見てみます。
これは正社員として働いた場合の数字ですが、女性の場合、生涯に稼ぎ出すカネは、高卒で1億2650万、短大卒で1億6590万程度という数字が出ています。

また一方、派遣社員やフリーターなどの非正規雇用で働き続けた場合には生涯賃金8,200万円という別データがあります(みずほ総合研究所)。
さらに、結婚・出産などで一時的に退職した場合。たとえば28歳で結婚・出産と同時に退職、子どもが満6歳となる34歳からパートタイマーとして復帰して働いた場合では、生涯所得は約4,767万円になるという報告もあります。(平成15年経済財政白書)

私たちのまわりに引きつけて、きわめて大雑把な話をすると・・・
高校を卒業して就職をし、転職せずに60歳定年まで一生働きつづけたとして、生涯に稼ぎ出せるお金はせいぜいのところ1億5000万程度。
何度か転職をしたら、1億2000万。
派遣やアルバイトなら、一生働いても8000万。
途中で結婚・出産・子育てをした場合には、その後再就職やパートで働いたとしてもおそらくは生涯で5000万程度。
・・・と、いうことになります。

R-GROUPで働いているキャストさんの平均収入とくらべてみましょう。
本指名をある程度持っているキャストさんで、ほぼ予約が詰まれば1日15万程度にはなりますので、月に15日働いたとすると225万円。年間で2700万円。2年働けば5400万。5年頑張れば1億3500万。
ごく普通の生涯賃金であればわずか2年、キャリアウーマンとくらべても4-5年で、女性の生涯賃金を稼ぎ出す計算になります。

「誇りあるソープ嬢」という人生選択

われわれは何も、生涯賃金との比較で、ソープ嬢の稼ぎの特別さをひけらかしたいわけではないのです。
われわれが言いたいのは、何の保証もない人生のなかで、わずか5年間のチャレンジで生涯賃金を稼ぎ出せるとしたら、女性が生きていくうえでこのうえない安心を手に入れることができるのではないかということであり、すなわちそれは人生の可能性を無限に広げることにつながるのではないかということであり、この仕事を通してその可能性を手に入れることができるんだ、そういうサクセスをつかめる仕事なんだということを再認識してほしいということなのです。

働く理由は人それぞれです。
学費の数百万だけ欲しい。借金が返せればそれでいい。それはそれで、立派な「ソープ嬢として頑張る理由」だと思います。
しかし、同世代の女性たちには絶対に手に入れることのできない大きなサクセスをつかむこともできる。
十分な経済的余裕をもったうえで人生の展望台に立てる。
そういう人生選択もあるのだということを、ぜひ知っていただければと思っています。