「ビジネス化」する風俗業
「風俗をビジネスとして」という掛け声
「風俗をビジネスとして・・・」という言い方は、最近になっていろいろなところでいわれるようになりました。ソープランドに限らず、他風俗・異業種でも、そういう視点で営業している会社さんを多く見かけるようになっています。
実際、風俗店を多数展開している会社さんの求人ホームページなどを拝見すると、しっかりとした企業理念を持った会社さんが多数存在していることがわかります。
たとえば、「われわれは風俗屋ではない」「喜びと感動を提供するサービス企業だ」
あるいは、「ナイトレジャービジネスの社会的意義を高める」「社会発展のために貢献する」
といったように、志高い言葉が並んでいます。
そこからは、みなぎるような決意と理想があふれでていて、およそ風俗業のホームページとは思えないほどです。
風俗業に真剣に取り組み、仕事の意義を高めると同時に、そこで働く人々の社会的地位をを高めようとするこうした姿勢に、敬意を表さずにはいられません。
私たちは、こうした先進的な会社に学び注目しつつ、風俗業の社会的地位向上のために、私たちなりに全力で頑張っていきたいと思っています。
風俗がビジネスとして成立するために必要なこと
今現在、世間で「風俗をビジネスとして実践する」といったときに、主としてイメージされているのは、たとえば「電話応対を丁寧にする」「顧客管理をWEBでしっかりする」「ボーイとかコンパニオンという呼称をやめて社員さんと呼ぶ」など、店の運営スタイルを一般企業のようにするといったことだと思います。
もちろん、そうしたことも大切なことだと思いますが、風俗業という仕事が、いわゆる「ビジネス」として成立するためには、まずもってその本質において次のいくつかの課題の成立が必要です。
②その商売が社会的に認知され、必要なものとして理解されること。
③働く人材が、仕事を通して何らかの社会的貢献をする(社会的共同性を実現する)こと。
まずは、価値あると判断される質の高い商品=サービスを提供し、正当な利益を享受すること(①)が、なによりも大切だと考えます。
今でこそ少なくなったと思いますが、風俗の世界には昔から「ぼったくり」とされる店があり、提供する価値以上の金銭を巻き上げる店が多数存在してきました。価値以上の金銭を回収するのですから“利益”はそれなりにあがるのでしょうが、ぼったくりに遭ったお客様は二度とその店には行きませんし、顧客の信頼を得て長く商売することなどとてもできません。
同じ金儲けでも、これは「ビジネス」というよりは、詐欺に近いものです。
主観的に「ぼったくり店」でなくても、サービスの質が悪かったり、値段相応の満足を提供できなかったときには、やはり「詐欺だ」といわれてしまいます。価値があるかどうかの判断の基準は、100パーセント顧客の側にあるからです。
私たちは、顧客に価値あると判断される商品を提供し、正当かつ真っ当な利益を積み重ねるということを、何よりも重視しなければならないと考えています。もちろん、キャストさんだけではなく男子スタッフの接客のあり方も提供する商品のうちには含まれるのであって、男子諸君が自らの接客技術を不断に磨いていくことも、われわれの仕事をビジネスとして成立させるための必須不可欠な条件といえるでしょう。
「風俗をビジネスとして実践する」ということの意味と、その難しさ
ところで、商売が社会的に認知される(②)、その仕事を通して社会的貢献をする(③)・・・一般企業では、こうしたことが、まさに企業理念の核心的課題になっています。
たとえば、2008年にパナソニックと名前を変えた旧・松下電器産業の綱領(企業理念)には「産業人たるの本分に徹し、社会生活の改善と向上を図り、世界文化の進展に寄与せんことを期す」と記されています。
トヨタの企業理念にも「オープンでフェアな企業活動を通じて、国際社会から信頼される企業市民をめざす」「地域に根ざした企業活動を通じて、経済・社会の発展に貢献する」という言葉が見えます。
また、三菱グループの理念「三綱領」には、所期奉公・処事光明・立業貿易という3つの言葉が記されており、それぞれ「所期奉公=期するところは社会への貢献、処事光明=フェアープレイに徹する、立業貿易=グローバルな視野で」と解説されています。
世界に冠たる大企業の理念は、いずれも「公正でフェアーな仕事を通じて、社会に貢献する」という点に凝縮されており、それがビジネスにおいてもっとも大切なことだと謳っているわけです。うまいことやって利益をつかみ、私腹を肥やし、個人生活を利するというのではなく、公正に働いて人々の幸せに資することが大切だというのです。
なぜか・・・? それが社会=人間共同体そのものが求めてやまない生産活動の本質=社会的真理だからということではないでしょうか。フェアな仕事(企業活動)が、同時にその企業を生んだ社会への貢献となる。言葉を変えていえば、社会から必要とされて生まれてきた企業が、その経済活動を通じて自己を生んだ社会システムに正しく組み込まれ、その正常な一機能となるということではないでしょうか。
経済活動を行う事業体は、社会との関係において、そういう整合性のある存在であるべきだということだと思います。
しかし、風俗業においてそれは非常に難しいことです。
社会から必要とされて生まれてきたことは事実かもしれませんが、風俗とりわけ性風俗という仕事が社会に正しくフィードバックされ組み込まれ、その正常な一機能となるなどということが、はたしてあるのでしょうか。
一部には、こういう商売がなくなったら性犯罪が増える、だから風俗業は性犯罪を抑止しているんだ、そういう点で社会に貢献しているんだ、という意見も根強くありますが、必ずしもそうではないと思います。性の衝動[性欲]とはすぐれて生命の本質の問題であって、社会性の喪失である性犯罪とはもともと位相を異にする問題であり、その社会が到達しているモラルや社会性を抜きにして「風俗産業がなくなったら性犯罪が増える」と一般化するのは、少し極端な議論だと思います。
われわれの考え方はそうではありません。逆にわれわれは、女性が性風俗産業に従事しなければならないような状況は、およそ社会的に認められたものではないと思っておりますし、性の平等・人間的共同性という観点からいって、そういう社会そのものがおかしいとさえ思っています。だから、性風俗を頑張ってやればやるほど、「社会発展に貢献できる」などと考えているわけでもありません。
【女性の自立=自力回復事業】としてのソープランド
しかしもし、この仕事に何らかの意味を見出すことができるとしたら、それは、社会そのものによって「借金」あるいは「貧困」「低賃金」状態におかれ未来に活路を見いだせない状況にある女性が、この仕事を決意することによって、
②「人とは違う」サクセスを手にすることができる
③そして社会が女性に対して強制した「貧困」「低賃金」という状態を(とりあえずは)ひっくり返せる
・・・・こうした点にあるのではないか、むしろ、そういう点にこそ意味を見出したいと思っています。
われわれがホスト・やくざ・スカウトがらみの「強制された応募」を一切排し、「自分自身の夢や目標の実現のために自らの意思で応募してきたキャストだけでビジネスをやる」と決めているのは、まさにこういう観点からです。
そして、こういう観点から取り組むことによって、男性に比して低賃金のもとに置かれてきた女性(女性労働者)が、ただ自らの力によって自らの経済的立脚基盤を取り戻すことができる【女性の自立=自力回復事業】(女性が自分自身の経済的立脚基盤を自力で回復する)という位置づけが可能になると考えています。風俗業にもしも何らかの社会的整合性を求めるとするならば、現状ではそれ以外にない、というのがわれわれの確信です。
R-GROUPの旗印が「社会貢献」ではなく、「働く女性のサクセス」になっているのは、まさにそうした理由によるものです。こうした考え方を基軸にしながらわれわれは、われわれの日々の仕事をビジネスとして成立させていこうと模索しています。